平等と公平

平等と公平について考えとき、よく見るのは野球を観戦する際の土台の大きさの絵である。平等では土台の大きさが均一であるため、子どもは身長が足らず、野球の試合が見れない可能性がある。野球観戦の絵では、公平の方が子どもから大人まで野球が見れるので、公平に賛成である。この絵では公平が良いように読み取れるが、公平はもっと複雑である。例えば、公平を基準に考えたとして、頑張った者には良い手当が与えられる。その一方で、頑張ってない者には良い手当が与えられない。これが単純に考えたときである。しかし、実際は頑張ってない者でも、社会的に最低限度の生活がままならない人には生活保護などが受けられ、処置が与えられている。資本主義であるが、社会的弱者への救済処置があり、1番苦しむのは中間層である。公平であるからこそ、何の恩恵も受けれず、頑張った者と頑張っていない者の支えをしなければいけない。平等であった場合、頑張っていない者が得をする形である。公平の場合は、生活水準は人によって変わるが、中間層は努力に見合った手当を受けれているかは微妙である。中間層の規模にもよるが、公平を維持するのは平等よりも難しいことである。

こんな感じで平等と公平について考えたけど、いろいろ不平不満はある。今の時代、頑張る方向性を間違えると見合った手当や見返りは返ってこないから、頑張る方向性を間違えないようにして頑張らないとね。公平っていいようで実行するには複雑であるからこそ時間がかかるし、慎重に政策を練っていかなければいけないのだと思う。